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今日の選択が明日のまちをつくるので紀伊國屋に行け

消える書店:ネットに負け相次ぎ閉店 地域中核店も- 毎日jp(毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/news/20131024k0000m040003000c.html

清明堂書店が本店閉店 来月7日、外商・2テナントは継続-webun(北日本新聞 要登録)
http://webun.jp/news/A100/knpnews/20130914/87653

富山の書店の中では紀伊國屋一推しで、
行きやすさや雰囲気も込みで大好きなこの書店がこのままずっと
永遠にとは言わないが、俺が死ぬまで位は続けばいいなと思う。

[photo:Pentax Q7]
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清明堂書店の閉店には一抹の寂しさはあっても、
紀伊國屋の持続可能性に関する危機感の方が強い。
果たして富山というまちは(正確には富山市中心市街地は)
紀伊國屋のような大型書店を保有し続けられるのだろうか。


東京から両親が遊びに来たとき、
帰路で読む本が欲しいというので紀伊國屋へ連れて行った。
乱読家の2人は、東京の大型書店には大きさとか品揃えでは敵わないけれど、
きちんとした本が揃っている良い書店だね、と言っていた。
別にお世辞を言う必要もないし言う性格でも無い人たちなので、本心だと思う。
専門書なんかがもっと充実したらうれしいが、概ね同感である。

ただ心に刺さったのはこれに続いた父の言葉。
父曰く「まちの文化水準はこういう書店に現れるよね」
言われるまで気付かなかったが、納得するしかなかった。

売れ筋の本や壁面にならぶ専門書、児童書コーナーの広さ、趣味本の多彩さ、
考えれば考える程、書店へ通う我々の姿が現れる気がする。


平成27年春に控える市立図書館の移転開館も危機感を一層強くさせる要因だ。
移転により蔵書が充実したり、或いは車で行きづらい現図書館からの脱却が図られれば、
本を買う人々がさらに少なくなりはしないか。
もちろん、書に親しむ機会が増えて本屋へ行く人が増える可能性もある。
この辺はどっちに転ぶかわからない。


俺はどうやったら紀伊國屋がこのまま残ってくれるのかを考えている。
市場原理なんて知った事かと思っている。

紀伊國屋が出来て以来、本に関してはAmazonでは一切買わなくなった。
紀伊國屋店舗に無い本は、必要性・緊急性によって実店舗に取り寄せるか紀伊國屋通販を使っている。
通販分も富山店の売り上げにしてほしいと常日頃から思っているのだが。

本以外もなるべく通販を減らしているけれど、どうしようもないものはまだまだ使ってしまう。
ともかく本では使わない。

しかしながら、例え毎月1万円分の本を買ったとして、年間たったの12万円である。
一日あたりにしたら330円程で、どうにもならない。
法人等の大型需要はもちろんだし、買い支える人数が必要だ。
基礎票のような、日々を支えるファンを一定数確保しなければならない。

[photo:Pentax Q7]
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リアル書店には蔵書量とスピード感が足りず、
一方ネット書店に勝るのは店員のレコメンドだと言われている。

棚づくりなんかは余程の技術革新が無い限り、リアル書店が負けることはないと思う。

棚づくりというのは、あるテーマの棚に何をどれだけ並べるか。ということである。
棚を概観すると書店がそのテーマをどのように扱っているかが見えてくる。
有限の棚だからこその技であり、無限に近い在庫を持つネット書店には出来ない。
今風に言えば書店によるキュレーションと言えるのだろうか。


一方、客側からのフィードバックを取り入れることに関して、
リアル書店は相当遅れをとっていると思う。

amazonは、まあ糞みたいなレビューも沢山混ざってはいるものの、
膨大なレビューという形で客側からのフィードバックを吸い上げ活用している。
リアル書店では、ポイントカードに紐付けられた購買情報以上の情報は
恐らく取り込んでいないのではないか。


リアル書店にしか出来ない客側との接し方についてはイベントがある。
著者のサイン会だったりトークショーだったり、
本人に会って直にコミュニケーションを取れるという点で、リアル書店はまだまだ余力がある。

先日も元淸水エスパルス監督のゼムノビッチが来てトークショーをするというので
いそいそと紀伊國屋のカフェに行ってきたが、企画運営があまりこなれていない印象を受けた。

五分前にマイクをセットして機材リハーサル無しで始まったこと。
トークショーは数十分しかなく、著書も販売はしていたが数年前に出版された本であり、
ゼムノビッチが何のためにこのタイミングで来たのかは最後までわからなかったこと。

お話し自体は楽しめたし、質問もしてサインもらって肩組んだ写真も撮ってもらって満足して帰ったのだけど、
何かこうグッと来る感じが少なかった。
個人的に、何かお手伝いというか、書店への関わりが出来ないかなとは思うのだけど。
ファンクラブ的なものが作れないかな。


まあいいや。
ともかく言いたいのはamazonで本を買いまくっておきながら
清明堂書店が無くなるのは寂しいとか言っていないかということだ。

僕ちゃん本は読まないもんというなら楽天や価格comで酒やら食べ物やら家電を買っておきながら
まちのスーパーや電気屋が無くなってつまらんとか思っていないかということだ。

ワタク家電なんて分かりませんわというならzozotownで服好き放題買っておいて
このまち服屋がありませんわと思っていないかということだ。

ワシ服なんて要らんしという裸族様なら車ばっかり使っておいて
電車が廃線は不便だわ困るわなんて思っていないかということだ。


外を選んだ結果まちが変化して、それで納得しているなら良いと思うし好きにすれば良いが、
外を選んだ結果まちが変化して、それに対して納得できないというのはどんなワガママだろうか。


今日の選択が明日のまちをつくるので、
無くなって初めてぶーぶー寂しいだの言うくらいなら、
多少の不便を我慢して紀伊国屋に行こうぜということだ。

というか、まちの楽しさはある種不便の中にあると言い切っていい。
制約が無いと楽しさは生まれない。
棚づくりに戻るけれど、物理的に限られた状況の中で最大限にその棚を活かすことで、
この棚の端から端まで全て買いますと言いたくなるような本が並ぶんだろうと思う。
10坪の本屋を無理矢理残せとは俺は思わないが、
富山であれば紀伊国屋の如き、きちんと本を提供してくれる本屋が残り続けるようなまちでないと、
まちに暮らす意味が薄れるばかりだと思う。


どんどん話がぶれていきそうなのでこの辺で終わりますが、
以上の危機感によりまして紀伊國屋書店で欲しい本を買った結果、
我が家の積ん読タワーは高く重くなる一方であります。
何かこう色々と納得させられた気になる言い訳(誰へのだ?)を考えようということで
現場からは以上です。




誰ですかその本全部買ってなければK-3でもiPad Airでも好きなように買えるとか言ってるのは!
どっちも欲しいんですけどおおおお!

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