google reader が終わると俺のWEB生活も終わる勢い

年度末のクソ忙しい時になんつうニュースだよ。

インターネットの荒波に初めて乗り出したのは確かダイヤルアップ通信が来た高校生の頃だったと思う。
中学生の頃は、まだフロッピーディスクを入れ替えてシムシティ(初代)をやったりマイコンBasicマガジンを見ながらBasicプログラムをいじってゲームをしていたくらいで、nifty serveにも参加していなかったから、高校入った頃だと思うんだよなあ。もう思い出せない。
ど忘れしたし調べる気もないが、PM11時からのなんだっけ通話料定額時間帯も無かったんじゃないかな。
まあ恐る恐るダイヤルアップのががーぴぴーを聞きつつ、今も昔も変わらないろくでもない世界へ飛んで行った気がする。

大学に行く頃には定額ADSLも整備されてきて、AirEdgeなるクソ回線のPHS無線接続もあったけどクソ遅くて使えない。
金がないのにもうネットが大好きでしたからね、バイトを必死にしながら回線を維持していました。

googleリーダーはいつ頃使い始めたんだったか。
大学の最後くらいかなあ。あの頃はHTML手打ちが精一杯だったし、My Yahooを使いこなしていたなそういえば。
Yahoo Bookmarkに色々と登録して、Webのしょうもない世界へ漕ぎ出していた。

ってことは、googleリーダーをヘビィに使い始めて、まだ10年経っていないのか。

今では重度の依存症で、無くなって以降、どうすればいいのか皆目検討が付かないわけです。本当に。
ニュースの流し読みも、定点観測も、富山の情報もみーんなそこから得ている訳で。

まったくどうしようかなあ。

と、一旦アップしたけどもっと書いてしまおう。

ソーシャルがあるからRSSリーダーなんていらないと考えるのは、受動的な人であって、見たいもの読みたいものが決まっていてかつコミュニケーション苦手ですという俺みたいなユーザーには最早RSSリーダーこそが至高の思考ツールであると思う訳です。

あるいは、googleにしろfacebookにしろtwitterにしろ、今と今の人間関係を突き詰めて行くには良いツールなんだろうけれど、俺はWEBの価値はそこにはないと思っているから、全く違うものと認識している。ソーシャルがあるからRSSリーダーが要らないなんて考えは一昨日来やがれである。

大体、人が面白いからシェアしましたってものが流れ来るのをまって読みましたなんて、なんと面倒くさいプロセスだろうか。一次情報にいくらでも当たれるこのウェブ世界で、伝聞の情報になんの面白みがあるのか。
google readerに代表されるRSSリーダーは、かたっぱしから収集しカスタマイズされたウェブ世界を好きな時間に好きなだけ読む事ができさらに活用もできるという、ウェブ世界で最も優れたツールと言って良い。最も優れたコンテンツは今でも数多に生み出されるこじらせたコンテンツ群であって、そのおこぼれに預かるために俺は生きている。

ああ困ったなあ。

googleもtwitterもfacebookも、evernoteもdropboxも永遠を約束はしない。
いつだって終わりがあるが、終わり方がだめだよなあ。

google依存の世界は終わりを告げる。
次のツール・イノヴェーションを心待ちにしつつ、WEBは少し置いておき、本を読もう。

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